記号士

 いわば自分は技士であり、自分自身をうまくつかいこなそうとするのである。

―ドクトル・クロコフスキー―

 

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 意識した動作は、その動作よりも意識のほうがみえてしまう。ほとんどの場合、みせたいのは動作のほうなので、ここでも意識の無意識化は不可欠である。

 

 意識した動作をしていると、はやく疲労を感じる。いやいやデパートを連れまわされた子どものころ、すぐに歩くのも億劫になったことがないだろうか。あれである。 

 

 歩きだしもそうだし、体を捻るときもそうだが、体の内がわを意識して、外にむかって張るような意識をもつと、うまく動けるような気がしている。中国拳法には站樁というその場で杭のように立つ訓練があるが、ああいうのはやはり大事なのではなかろうか。空手だとナイファンチがそうだとおもう。

 

 そろそろ岩に行きたい。以上、送信おわり。