数値化の罠

 感覚の数値化というものは、あまり信じすぎないほうがいい気がする。水深6メートルだ7メートルだといったって、測ったわけでなし、だいたいでしゃべっていることもおおいとおもう。

 

 カウントダウンも同様である。ひとによって数えるスピードはかなりちがうし、おなじひとでも、かぞえるたびにゆれるはずである。ミュージシャン級のタイム感をもったキャスティングのうまい釣りびとがいて、寸分たがわぬポイントにキャストできたとしても、一投ごとに風と潮はちがってくる。

 

 さきにオモリを投げて水深を把握するというのは、いい方法だとおもうけれど、釣り場でそうしているひとに出会ったことがないし、自分でもしたことがない。釣りびと、とくにルアーを投げるようなひとは、根本的にいらちなのではないかとおもう。

 

 かように水深の把握は感覚まかせであるから、表層、中層、ボトムだけあればいいような気もしてきた。ボルダーでいうBグレードとおなじである。

 

 数値化すればいつも正確になるわけではない。細分化の罠が、あるとおもう。仕事でもそうだが、数値化できない部分は説明ができないし、説明ができないと評価の根拠づけができないので、ないもののように扱われている。しかしながら、釣りにかんしては獲物がとれるかどうかが大事だし、ボルダーにかんしては岩の上に立てるかどうかが大事で、数字は目安にしかならない。

 

 釣れたときの感覚をおぼえていて、だいたいこのくらい、ということをくりかえして、だんだんに研ぎ澄ましていく。登れたときの感覚をおぼえていて、そのつど課題との距離をはかる。釣りでも岩でも、やっていることはおなじなのではないかという気がしてきた。

 

 いったん送信おわり。