目標とのつきあい方

 大きなものから小さなものまで分けていって、小目標をクリアしていくうちに中くらいの目標が達成され、それをくりかえすうちに大きな目標が実現できる、のかな。漠然と夢のような目標を掲げているだけでは、日々それにむかって具体的に何をつみかさねていけばいいのか判然としてこないし、目標がいつも達成できるようなら、夢を大きくしたほうがいい。

 

 目標を文字にしよう。あるいは身近なひとに話そう。そうすることで何かしら得体の知れない力があなたの内にに宿る。

 この国には不言実行という嗜みがあるせいか、あまり目標をひとにいわない気風があって、こういうのはダイエットや禁煙で使われるのをたまに見かけるくらいである。あるいは「公言して失敗したらミットモナイ」という気持ちが生じるのかもしれないが、このメンタルは完全にゴールに背を向けている。目標を口に出して、達成の可能性を少しでも高めよう。

 

 次に、目標をどのようにカテゴライズするかを考える。要は自分に合うものを選べばいいのだが、時間軸で区切ったり、実現可能性で階層化したりすることができる。たとえば夢のような目標、10年後の目標、5年後の目標、3年、1年、半年、3か月、今月、今週、今日、などという風に。目標達成のためにいきなり長期的に考えないことも大事―気がくじけたり焦ったりする―だが、行く先がぼんやりしていてはなかなか辿り着けない。ゴールがないのにスタートもへちまもない。

 同様に、過程をすっとばしていきなりゴールすることもできない。目標と過程はセットになっていることを忘れないことだ。

 

 あるいは、夢のような目標、現実的な目標、現状キープのための最低限の目標、というふうに分けることもできる。最低限の目標は、モチベーションの維持とじぶんに対する自信を失わないために設定する。現実的な目標は、パーソナルベストをもう一度実現するようなもので、昔できていたフィジカル種目でもいいし、あるいは大目標を達成するために確実に必要となることがらを入れてもかまわない。

 

 目標の立てかたもいろいろだ。「特定の課題を登る」という目標が自分にとってリスキーすぎる―空回りしたり、メンタル的に追い込まれる可能性がある―と感じるなら、そのグレードの課題を登る、に変えてもいいだろう。逆に気が散りやすい人は具体的な課題に設定してフォーカスした方がいい。総じて、目標の立て方は、クライミングと―いや、世の中の大抵のことがらと―おなじで、ひとによる。自分に合う方法を探そう。

 

 目標を持とう。目標はわれらの暮らしに張りをもたらす。掲げたもののすべてを達成することはできないかもしれないが、それでいい。己を見つめ、なにが必要か考え、実行する、その一連の過程に、まったくもって使い古された言いまわしだが、価値があると、そう思う。

 

 大きな目標を進んで持とう。目標は我々のこころを澄ませ、そこに至る過程はわれわれを強くする。