ピンチの時に現れるが、本人たちもたいていピンチ。
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あまりにも早く目が覚めたので、PCを開けて昔の記事を整理していたら、もう何年もトレーニングについて書いていないことに気がついた。していないものはしかたがないのだけれど、これではちょっとあまりにも、ねえ。
どういうわけかこのところ更新がほぼ日と化していて、いったん習慣づけられたものというのは半ば自動化されているので、やめるのもむずかしく、したがって書きながら直しながら書きながら修業する形になっている。要は泥縄式である。自転車操業である。せめて経営の多角化とでもいいかえたいところだが、いくつかのカテゴリが休眠状態になっている現状では、説得力というものがない。
そういえば小学校5、6年の頃、担任の先生が勉強一般について「空中で飛行機を組み立てる」といっていたのをふと思い出したが、本当にそんな感じである。とにかくまず手近なところからはじめなさい、というような文脈だったと思う。千里の道も一歩から。先ず隗より始めよ。つくづく言い方はいろいろある。
そういえば先生は「飛んでも8分歩いて5分」というのが口癖だったけど、あれはなんだったのだろう、そう思ってしらべたら「とんでもhappen」から来ていたようだ。なんだかよくわからんな。
話はどこまでも逸れていくが、司馬遼太郎が『手掘り日本史』のなかで、方言について「風土的説得力がある」と書いている。これもなんだかよくわからないといえばよくわからないが、司馬遼太郎にいわれると妙に納得してしまうから不思議である。こういうのは人間的説得力があるということなのか。それって要は人徳だと思うのだけどアンタどう思う! なんて。
マジメな仮面をして、その場その場のちゃらっぽこを言っている。そんな発言には当然、何の信憑性もない。
もうちょい何とかせんとなあ。