トレーニングをはじめようというときに、できるだけ良いトレーニング法を探してからにしたくなる。もっとも効果の高いぶら下がり法はどれか、最高のピリオダイゼーションは何か、至高の補強メニューは、など、など。普通のことだと思う。おなじ時間を使って厳しい修行をするなら、なるたけ効果が上がった方がいい。
しかしながら、全員に効いてかつ実施した者がみんな目標達成できるようなトレーニングプログラムは存在しない。ほとんど全員に効くトレーニングがあるとすればそれはやはり登ることだ。
だから完璧なトレーニング法を探すのはやめよう。効くのもあれば効かぬのもある。「じぶんに」効くトレーニングを探そう。それで目標課題が登れたら御の字である。
話は少し逸れるが、昔読んだ夏目漱石の『文学論』の冒頭で、「文学研究を始めるまえにまず文学一般に通暁しようというというのはわからんではないが不可能事だからあきらめて泥縄式にすすめなさい」というようなことが書かれていた気がする。
課題とじぶんしかいなかったら、あらかじめ最適ムーブがわかってから登りだすことは不可能だと、そういうことでもあるか。いや、これはまたなにか別のものが混じってきているように感じる。
・・・まあいい、とにかくはじめることだ。