・忘却想起の5年間
・反読反芻の5年間
・選別淘汰の5年間
と1年ほど前に書いていた。現時点で上記3つはすべて同時進行中である。たぶん書いたときは時系列で考えていたのだろうが、そんなに悠長に構えていられる状況ではなくなった。世の中は動いている。
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またしても平日カードを切って岩場へ。去年できなかった課題がまたひとつ登れた。代わりにこの前ようやくできた課題が登れなくなった。よくあることだ。
とはいえそれで済ますわけにもいかないので、ムキになって保持しようとしたら軽くネコパンした。岩にネコパンチをかますのが数年ぶりである。そこまで握れるようになったことを喜ぶべきなのか、よくわからんが、とにかく今日はこの課題ができない。
今回できた課題にしても、スタートの持ち方と足位置を変えただけである。ホント、何で去年気づかなかったんだ。ムーブの引き出しは残っているようだが、引き出しの開け方を忘れている、そんな感じだ。
そして自転車でアプローチしている坂が相変わらず登れない。この状況を見て、ムーブのありがたさを噛み締めるべきなのか、フィジカルの衰えに歯噛みするところなのか、それすらもよく、判断できなくなっている。
ボルダリングなどという格好のいいものではない。何というかもう、ひたすら岩にかじりついているだけである。
せめて10課題くらいは登れるようにならないと、サーキットにならん。登れる岩を増やすには、登るしかないのだが、あまりにも自分が弱すぎる。
ここまで来ると「道中を楽しむ」などという洒落たものではない。ただただはね返されている、そんな感じである。
似たような文型が続いたところで終わりにしよう。つくづく道遠し。