Expectation

 クライミングにおいて、一見不可能そうな状況から登れてしまうことはまれに、ある。

 旅行中に何かの課題が宿題になりそうになって、時間が切れそうになって、焦って打ちまくって、気持ちも千々に乱れて、指は開いてきて、ロックもままならなくなる。バラせているのにつながらぬ。その日の最初のトライがいちばんよかった。なぜ急にうまくいかなくなったのか、原因がさっぱりつかめない。「泣きの一回」なんて言い出してから、もう何度も落とされている。友人は帰り支度を始めている。はっきり言って全然集中できていない。身体もフレッシュな状態とは程遠くなっている。それが突然登れたりするのですね。まったくどうなってんだ。

 

 上記のような事態は日々あちこちで起こっていて、登り手にとって特別な体験になって後々まで残ったりする。一方で、それはたんにまだ「ほんとうの」限界に至っていないだけのような気もしている。推し進めていくほどに、様々なコンディションを整えなければ登れないようになってくる。外的な条件は思うようにならないが、自分の方はもう少し何とかならないか。それでゾーンとかフローとか、調べてみたりする。

 

 感情というやつは本当に思うようにならない。われわれは想像する。次のホールドの感触を予測する。来るであろう身体の感覚を予期する。次のムーブができるかどうかを測る。トップアウトまでの辛さを予断する。そこから登り切れるかどうかを推測してしまう。これがくせものだ。思っていたより悪かった時はもちろん、良かった場合でも油断してしまう。

 

 似たようなところで、いったんバラしたムーブがつながらないとき、力を抜きすぎてもいけないし、もちろん入れすぎてもアカンし、気負いすぎてもアレやし、先のことばかり考えすぎてもこれまた困ったことになる。バラしたときのポジションに正確に入れないと、ムーブが成功して落ちなかったとしても、メンタルがダメージをくらうことがあるからだ。この塩梅が非常に難しくなることは往々にしてある。

 

 それにはパワーが余るほどあっても無駄なのだ。必要とされる分だけを取り出して合わせていく、それがズレた場合に即座に立て直すのだけど、バラしの精度が上がるほど、少しのズレにも違和感を覚えはじめる。そこにつなげトライのひとつの難しさがあるような気がしてきた。

 

 もう本当にトレースしていると感じてしまうくらい思うように動けてしまうのと、ズレを瞬時に半ば無意識に立て直し続けるのと、実は両者は裏で手をつないでいるような気がしてきた。たぶんゾーンに入っている時は、動きの精度が上がるとともに、上述の予測が直観に昇華されて、多少ズレてもビクともしなくなっているんじゃないか。ゆえに結果としての感触は「ズレまくったけど修正しまくった」ではなく「何やしらん登れた。思うように動けた、のかなあ。よう知らん」になる、のかな。どうだろ。

 

 こんな風に見てくると、サーキットの世界においてコーナーとコーナーの「つなぎ」の部分の処理が重要であるのと同じように、ムーブとムーブの間のつなぎ目についても考える必要が大いにあるような気もしてきた。そのうちまた戻ってこよう。