周作先生(2)

 前回のつづき。コーチにつくことで、単独の時より領土の状態がよく見えるようになる。われわれが小作人になりさえしなければ、メリットは大きいだろう。

 

 もうひとつ喜ばしいのは、領土が侵略されないということだ。ある種のメンタル、つまりまわりのみんなが登れたのに己だけできないとガッカリしたりするが、これはたんにじぶんでじぶんの地味を痩せ細らせているだけのことだ。

 

 これらの土地は謎の部分で互いにつながっていて、ほかのクライマーに向けてひらかれている。来訪者はこちらの苗の植えかたを見て「そのやりかたいいですね」とか、「このへんはハチが多いなあ」などというかもしれない。「良い天気ですね」と挨拶してそのまま通りすぎるかもしれない。あるいは小屋の裏手の川に砂金が埋もれている可能性について示唆してくれる可能性もなくはない。こうなってくるとこちらも気になるからよくよく聞いてみることになる。もはやセッションである。

 

 いくつかのことがらはすぐには共有できないだろう。べつの惑星の言語かもしれないから。だがひとたび対話を経験した瞬間、キッカケは生まれている。「ドゥンってとって、ブワア〜」「股関節折って、プッシュパート」「波をとらえろ」とか、「何言ってんだろうこの人」と思っていても、あとになってふと思い出してやってみると、発見があったりする。

 

 セルフコーチの技術が向上すれば、己の領土をもっとわかるようになり、セッションから学べることもふえる。セッションがコーチングの代わりになるわけだ。逆にそればかりしているのは以前に挙げた「飴」に陥らぬよう注意が必要なのか、どうか。おもしろけりゃそれでいいじゃん、という気もするが。

 

 逆に独力で頑張っても煮詰まっているときは、焦げつかないうちにシェフの助けを借りるか、いったん火を止めるか、何らか別の視点からの対応が必要なのかもしれん。アレ、またふつうの結論になっちまった。