周作先生(1)

 三日前に登れた課題が今日はできない。よくあることだ。前日よく寝ていなかったとか、のみすぎたとか、変なもん食べたとか、仕事が遅くまでかかったとか、原因を洗い出して修正しようとするものの、いまいちピンと来ないまま、それでもめげずに二週間くらいかけて、ようやくまた登れるようになる。

 

 登れなくなった理由も再び登れた理由もわからないままだから「まったく進歩していないじゃないか」と感じて、モチベーションも下がって、でもなんとか頑張ってかじりついて、相も変わらずその上の課題が倒せない。もうそれが常態になっていて、いつの間にか一年くらい平気で経っている。

 

 それである日何の気なしに登れるのですね。まったく、何でなんだろうな。研鑽を積んでいたからか。途中で投げ出さなかったからか。あきらめなかったから試合はひそやかに継続されていたということか。

 

 たぶん、われわれはそれぞれに領土を持っていて、土を耕して深めたり、あるいは原野を開拓したりして、己の土地を豊かにしようとしているのだろう。われわれは鳥ではないから、頑張っても空から俯瞰することはできない。全体を一覧することができない上に、宿題にフォーカスして深堀りしているときは尚更そこに集中するから視野も狭くなって、おまけに深く掘っているから周りも見えにくくなるが、その間にも、小屋の横で栗や柿が徐々に成長していると、そういうことなのだろうか。何気なく放り投げた種がいつの間にか実をつけていた、そんな話なのかなあ。

 

 前にも述べたとおり、われわれは皆自身の主である―われわれは王ではない、なぜなら臣下がいないから―が、それゆえに独りで全てをまかなうことも難しいと、そう言うこともできるのかもしれない。